同窓会

会長コラム 第二報 2022.2.14

セレンディピティ
~ 思いもよらない出会いの先にあるものとは ~

 「セレンディップの3人の王子たち」という本がある。もとは5世紀のペルシャの伝承なのだが、18世紀に英国の作家が見出し、その後アメリカで翻案されて本になった。皇帝の命令で旅に出たセレンディップ(今のスリランカ)の三人の王子が、その知恵と機転で多くの困難を次々と解決し、失われた宝を求めて旅を続ける物語。思いがけない発見が貴重なものを生むこと、またその能力をあらわす「セレンディピティ」という言葉の語源である。

 最近「フィルターバブル」や「エコーチェンバー」という言葉を聞かれたことはないだろうか。どちらも、自分と似た興味・関心・意見を持つ利用者が集まるコミュニティが自然と形成され、自分と似た意見ばかりに触れてしまうようになる(=「エコーチェンバー」)、自分の好み以外の情報が自動的にはじかれてしまう(=「フィルターバブル」)などのIT環境の特性を表している(注)。すなわち、意図的ではない多様な刺激に触れにくくなっているのである。

 同窓会で、久しぶりに同期に会って話をすると、自分と違う職業での経験や、想像もできない体験、その人の人生の中で磨かれてきた感性、異なる立場による価値観の違い、はじめて知る視点、思いもよらない発見などがあり、それはそれは飽きないし、とにかく面白い。人間は知的好奇心の生き物だと言われる所以かもしれない。Wikipediaを利用した米国での研究によると、好奇心には「Busybody」と「Hunter」と呼ばれる二つの傾向があるらしい。Busybodyは関係性のあまり強くない多様な情報を追い求める傾向、Hunterは一つの事柄について深く追求する傾向であり、これらは一日を通して変化するとのことである。同窓会での出会いの面白さはこの前者にあたりそうだ。

 大学にも同窓会がある、研究室、ゼミの仲間や先輩後輩、体育会系のものもあるだろう。それらは貴重かつ重要であり、その後の仕事、人生に直結する。場合によっては出世を左右するかも知れない。一方比較は難しいが、中学高校の同窓会には、専門化する前だからこそ見つけられるものがあるように思う。それはより広範囲な多様性とその出会い、セレンディピティではないだろうか。とは言っても、枯れた同窓会では何の意味もない。卒業生皆が「集いたくなる」同窓会が理想である。

 中学高校の同窓会で、全ての卒業期が学年を越えて一同に会する会合があるところは多くはないがあるようだ。その中で我々の洛星同窓会はどうだろうか。カトリックの精神に基づく「全人教育」のもとで過ごした6年間は、厳しい校風ではありながらも、大いに個性を尊重して頂けたように思う。その結果なのか、卒業生には多様なそしてユニークな人が多い。首長、官僚、教師、医師、弁護士、金融、商社、製造、建築、IT、サービス、マスコミ、芸術家、宗教家など、就いていない職を探すのが難しいくらい、ありとあらゆるプロフェッショナルがいる。ただ不思議なことに、今の姿がどれだけ多様でも、洛星という場で過ごした多感な6年間のゆえか、互いに共通・共感する何かを皆心のどこかに持っている。不思議な一体感である。それが洛星の卒業生ならばという信頼になり、学年を越えてでも強いつながりを生んでいる。自画自賛だが、こんな同窓会は他にはないだろう。

 新型コロナ感染の拡大で、対面で話すのが難しい日々が続いている。しかしオンラインでも構わない。いろいろな人と話し、多様性を感じ、楽しむ事である。相手に同調する必要はなく、違いもまた面白い。そこには、洛星という共通体験、共有の価値観、後輩を大切にする気持ち、悪意のなさなど、多様性のすき間を埋める何かがある。その上で大いにセレンディピティという価値を楽しみたい。同窓会が提供する場は、一人では得られないことに気づかせてくれる。そこは未発見の宝が眠る場かもしれない。忘れてならないのは旺盛な好奇心を持ち続けることである。

   2022.2.14

ヴィアトール学園洛星同窓会
会長 吉岡 正壱郎

(注)「情報通信白書」(令和3年:総務省)を基に編集