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同窓生インタビュー 多士済々な洛星出身者をご紹介します

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40期生 松山 大耕 (まつやま だいこう) 氏

松山氏(40期):退蔵院Webより

今回から,「若手同窓生が,先輩をインタビューする」という企画をスタートします.今回のインタビューを担当してくれたのは,59期の佐々木 大道さんです.

臨済宗大本山 妙心寺 退蔵院 副住職 松山 大耕(まつやま だいこう) 氏(40期生) に伺いました.

― 本日はお忙しい中お時間いただきありがとうございます.始めに,お寺のご出身でありながらキリスト教の学校に進学された背景にはご両親の「今までとは違う価値観に触れさせたい」という願いがあったようですが,実際洛星ではどの様に視野が広がりましたか.

松山氏    当初は,小学生なりにキリスト教の学校に進むことに抵抗を覚えていました.しかし,そこまで強い反抗期でもなく,「まぁ行ってみようか…」と.でも実際に入ってみると,始めキリスト教に対して抱いていた抑圧的なイメージが変化していきましたね.

例えば,宗教の時間に今ドミニコ会にいらっしゃる田中神父様が,遠藤周作の『沈黙』の授業をしてくださったのですが,この作品には日本人として共感しました.「キリスト教は一つだけ」と思っていたのが,実は多様だなと.「日本のキリスト教」という立場があることを学びました.また,高校3年で村田神父様の授業を受けた際,ある同級生が質問をしたのです.

 

― どんな質問でしょうか?

松山氏   その生徒は,「いつも先生は神様について語っているが,そんなに言うなら私たちの目の前で神様の存在を証明してくれ」というものです.すると村田神父は,何の迷いもなく「神様は人智を超えた存在です.なので人によって証明されてはなりません」とお答えになりました.私はこの堂々たる姿に,宗教家としてあるべき姿を見せられた気がしました.相手に合わせてパッと答える.仏教では対機説法というのですが,それを思い浮かべました.

 

― 今ご自身が僧侶としてお仕事なさる上でも目標になさっていると.

松山氏    ええ,ああならなあかんな…と.今でも学ばせられます.

 

― Visit Japan大使,京都観光おもてなし大使としてご活躍なさっていますが,具体的にどの様な活動をなさるのですか.

松山氏   例えば海外賓客のアテンドなどですね.さまざまな国の大臣や議会の議長といった重鎮と会食したり,セミナーの講師をしたりという.外務省から将来の有望株をおもてなしするように頼まれることもあります.活動する上で学んだこともありまして.トランプ支持派として有名なアメリカの共和党ベイナー元下院議長が退蔵院へいらしたときのこと.そもそも22:30という非常識な時間に到着するなり何を言われるかと思ったら,第一声が「タバコを吸わせてくれ」でした.また,赤ワインが好きということをリサーチしていたのでいろいろ揃えていたのですが,何の銘柄がいいかお聞きしたところ,「赤ワインなら何でもいい!」と(笑).今まで私はアメリカに何度も行き,知り合いもそこそこいると思っていたのですが,エスタブリッシュメントと呼ばれるエリートたちしか知らず,ベイナー氏のような田舎からたたき上げ[1]で出てきたアメリカ人のリーダーには接したことがありませんでした.自分は米国を知らなかったと痛感しましたね.合衆国内では英語が通じますし,足を伸ばせばなんでもある.その点でアメリカ人は日本人ほどグローバルではないと言えるかもしれません.

[1] 農家の生まれで、自身はベトナム戦争の帰還兵

 

― なるほど.ところが,東大の文科II類に進学していらっしゃいますが,仏教系の学部に進まないことについて周囲やご自身が思われたことはありましたか?

松山氏    私は入学時点では寺を継ぐ気は無かったので(笑).全く何も思いませんでしたね.もともと教養学部に入りたかったのですが,結果として文IIに入ってよかったです.高校在学中も自分は文系でしたが,理科も好きでした.洛星の授業は教科の制限があまり強くなく,受験ギリギリまで入試に直接関係のないものもやりますので,それが自分にとって後で効いてきました.

 

― そうですね.若いうちから教科を制限するのは良くない気がします.

松山氏   その通りです.将来何が役に立つかわかりませんから.幅広い可能性を残しておいたほうが良いです.洛星時代,バドミントン部の友人がいたのですが,彼は京大の法学部を卒業し,裁判官,とりわけ医療裁判を扱う判事になっています.同窓会で集まると,医者の面々が彼に薬の効用について質問しているくらいですよ(笑).

 

― 文IIで後に学習された経済学についてはどうですか?

松山氏    経済の勉強を進めるうちに,なんか自分には合わへんなと.物事が起きてから「これはこうだ」と言うのは,後出しじゃんけんみたいで潔くないなと思いました.自分はもっと実学的なことがしたいと思ってましたから.

 

― その後,農学部に転部なさいましたが,その背景には何がありましたか?

松山氏    高校時代から人文地理学に興味を抱いていましたが,大学に入って視野が広がり,関心が変化しました.また,偶然AERAの農学という雑誌で後の恩師の記事を読み,教養学部の授業で砂漠化に関する最新の研究事例を知って夢の様な研究だと思ったことでしょうか・・・・・.

 

― 話は変わりますが,松山先輩は学生時代アイルランドで,寺の長男として生まれながらキリスト教の学校の通われたことについて厳しい言葉を受けられたそうですが,その際のお気持ちはどのようなものでしたか?

松山氏    もやもやしましたね.思いの整理がつかず・・・・・.でも今思えば,あの感情は大切でしたね.うまく言葉で伝えられないことをうやむやにせず自分自身で持っていたというのは.

 

― そのもやもやが解決した瞬間はいつでしたか?

松山氏    僧堂(禅僧が修行を積む道場)にいた時です.もともと寺に生まれたものの,仏教の本質的な部分は知りませんでしたから.修行により自分の中に核が形成されました.洛星や東大という特殊な環境で学び,賢い人に囲まれて育ったため事務処理能力は持っていたつもりでしたが.僧堂では全く違うアプローチなのでね.

 

― 具体的にはどういうことですか?

松山氏    例えば入門1週間目で風呂の薪をくべていた時のことです.私もくべ方くらいは知っていたので,きちんと手順を経てやってみるのですが,薪が若くて火がつかない.すると先輩がやってきて,「お前東大出てるのに薪の火もつけられないのか」と怒鳴られました.今頃大学の同級生達は人生を謳歌しているのに,自分はこんなところで薪に火もつけられずに怒られている.正直ガーンときました(笑).

 

― それは相当大きなショックですね・・・・・.

松山氏   ええ,知識はあっても薪に点火すらできない.最近は情報を得ただけでなんでもやっていると思い込む風潮が強いですが,それではダメだと悟ったんです.例えば今この部屋の気温は15度くらいですが,15度という温度を知っていてもなんの意味もない.15度の空気,机,水,これらに触れた感覚は皆違う.それぞれの質感というリアリティがあって初めてそこに意味が生まれるのです.修行生活はそのリアリティをもたらしてくれる場です.これを味わうことで,生き生きとした生活が送れるのです.時間的,経済的効率化が近頃言われていますが,僧堂では物質的効率を重視しますね.つまり,何事も生かすということです.道場に入りたてのころ,庭掃除中に先輩にゴミをどうしたら良いか聞くと,「ゴミはない!」と怒鳴られる.落ち葉は肥料や燃料,砂利は轍を埋めるのに利用できるというのです.そういう見方が養われるのが修行生活ですよね.

 

― 修行中,迷いはありませんでしたか?

松山氏    入門1年目はまだ迷いがありました.やめたいとは思いませんでしたが,他の選択肢もあったかもしれないなと.ですが入門して1年近く経ったある日,満開の桜の下で薪を割っていると,檀家さんが「こんな満開の桜の木の下で薪を割れるなんて,最高だね」といって下さいました.その時ハッと気づいたんです.確かに,修行は厳しいけれども,今の時代に何も考えずに満開の桜の下で薪を割っていられるというのは本当に最高かもしれない.それから奮起しましたね.

 

― その後はもう迷いなく修行に専念されたのですか?

松山氏    少なくとも他の選択肢を考えることは無くなりました.兎に角,僧堂にいることが大事ですよ.あとで気付けば,何事にも代えがたいすばらしい経験になったと思えます.

 

― 先輩は,なぜ平林寺僧堂を選ばれたのですか?

松山氏と対談する佐々木さん(59期)

松山氏    僧堂ごとに個性があります.例えば退蔵院の横にある妙心僧堂は,狭くて坐禅や参禅が盛ん.一方で平林寺僧堂は敷地が妙心寺全域よりも広く作務が多い,自給自足を実践するようなところです.私は体を動かせるこちらの方が良いかと思い,選びました.あともう一つの理由は指月庵老師の存在ですね.学生時代にお話を聞く機会があって,この老師のもとで修行させてもらおうと.これは直感です(笑).良い師匠につくことは本当に大事ですよ.あと私は大学時代,研究で長野に行き,たまたまお邪魔した正受庵というお寺がありました.ご住職と知り合いになり,僧堂での修行後にもしばらくお世話になりました.雪が3メートルも積もる地域で,冬は2階から出入りするのですが,ここは檀家もなく,ご住職が一人で托鉢生活をしていました.お寺の雰囲気はオープンに保ちつつニコニコしている.だが節目節目で大変辛辣な言葉も口にされる.それまで私は正直僧侶に失望していたところもありまして….しかしその方は別格でした.寺の近所に住む詩人が和尚さんの詩を書いたのですけど,「雨の日も,雪の日も,托鉢の声が聞こえ,その声が響くと街に安心が広がる」という内容なのですよ.私はこれを聞いて「ああ,僧侶の役割は人を安心させることなのだな」と.自分は今でも誰かに安心してもらえるようなことをしているかと考えて仕事をしています.このお寺での経験は学びになりましたね.やはり自坊,僧堂以外の寺で生活することは重要だと思います.またある日そのご住職のもとに信者のおばあさんから葬儀の依頼が来たのですが,「葬式のお経を忘れた」と言って私が代わりに行かされたことがありました(笑).正直,ビックリしましたが,よく考えたらもともと釈迦の時代には僧侶の仕事は葬式ではありませんでしたから.釈迦自身も葬式は僧侶ではなく,他の者に任せて修行をしなさいと弟子に述べていますし,ですからそれは「僧侶とは何か」を考える良い機会になりました.西宮の海清寺の老師様も面白い方ですよ.在家出身で修行を一時中断してケニアに渡ったり,カトリック神父様の元で学んだりと,自分のルーツや禅とは違う交流をして老師になられた.こうすることで教えに深みが増します.

 

— プライベートな時間はどう過ごされているのですか.

松山氏  公私の区別はなく,ごちゃ混ぜです(笑).坐禅指導が終われば子供と遊んだり買い物に行ったり….住職である父からは「寺は檀家さんのものだから,私物化してはならない.要望があれば玄関や居間はいつでも解放できるようにしろ.」と教えられていました.完全に私的な旅行などはなかなかできませんが,こういうものだと思っているので特にストレスがたまることはありません.

 

— 今後やり遂げたいことはありますか.

松山氏  これはよく聞かれるのですが,特にビジョンはないです(笑).今やるべきことをすれば自然にやることはできてくるのでね.よくビジネス書なんかで「10年後の自分の像を描く」などというやり方が紹介されていますが,私はあれには反対です.ゴールをつくると自分の限界を設定してしまうので,想像もしなかった展開や成長した自分には出会えませんしね.お寺の歴史が600年として,一人の住職の任期がだいたい30年.たったの5パーセントですよ.自分ができることなんてたかが知れているのです.

 

— つまり画期的なことをやるよりも,継承していくことに重きを置くべきだということですか.

松山氏 というよりは,時代の要請に合わせてやりたいことは出てくると思うので,それを丁寧にやっていくことだと思います.時間があれば太宰府天満宮には行ってみると良いですよ.あそこの西高辻君は大学の後輩なのですが,彼のお祖父さんがものすごい先見の明の持ち主で,ハーバード留学中に見たヤンキースタジアムでの野球の試合で米国のモータリゼーションに触発され,太宰府天満宮に1000台規模の駐車場を作ったのです.当時九州全体で10台くらいしか自家用車がありませんでしたから,皆彼を笑いましたが,今や宮の前には門前町が賑わっています.西高辻君自身も感覚が優れていて,現代アートをうまく活用しながら神社の新しい形を模索しています.数年前,長野の上田で工事現場から巨大な丸石が見つかりました.特に,その場所が元々神社であったとか,そういう有縁の場所ではなかったのですが,その石があまりにも見事で美しかったため,信仰対象になったことがありました.このように,日本はいま現在でも新しい神様が生まれる風土を持っているのです.大宰府では例えば,打ちっぱなしのコンクリートに松葉づえが刺さった作品を神社の裏の森においてある.すると,数年したら足を怪我した人や不自由な方がその松葉づえに向かってお賽銭を投げ始めた.新たな信仰対象が生まれたわけです.この作品も足の悪い人たちに拝まれたりしているわけですから,一種の新しい神様といえるのではないでしょうか(笑).これほど感覚が優れていたら良いのですが,自分にはあいにくそのような感覚がないので.

 

— 地方を中心として寺院が減少している現在,日本の宗教家が果たすべき役割は何でしょうか.

松山氏 徒然草にも記されているように,寺院が荒廃していた時代は過去にもありました.私が思うのは,物事が上り坂の時代には凄い宗教家は出ないということです.下り坂になり,落ちる寸前まで行ったところで逸材が出て盛り返す.白隠禅師が出られたのも下り坂の時代ですしね.何事にも波があるのは仕方ありません.大事なのは数を残すことよりも,本物を残すことです.少子高齢化の世の中で,寺だけがその影響を免れることはあり得ません.今は宗教法人の代表役員としてまともな振る舞いができる,いわゆる「良い人」を作ろうとしすぎているような気がします.本当に革命児となるような人は力量,直感に溢れた変わり者なんです.そういう変わり者を面白いと受け入れる下地を宗教界や各団体が持たなければ終わりでしょうね.

 

— 近代科学の発達によって宗教が迷信として退けられ,結果的に世相が自己中心的になった気がします.科学と宗教,どちらも経験された身として両者はいかに折り合いをつけるべきだとお考えですか.

松山氏 3年前,京都で「心を科学する」という題のもとフォーラムが開かれ,総勢150名の科学者,宗教家が集まりました.その中である科学者が述べたのは,物理学の最新テーマは心だということでした.

 

— とおっしゃいますと.

松山氏 例えば,光には波と粒子,両方の性質が共存しています.これは理論上ありえない話です.しかし,光は光であり,ただ人の認知力が物理的現象を捉え切れていないだけだと考えると,重要なのは私たち人間の限界を知ることだという結論に達します.よって最新のテーマは心だという訳です.もともと本当の科学者たちは神の見えざる手を措定して議論を展開していました.一方で現在は人間が万能であるというような妄想が広まってしまっています.これは問題ですね.私は2年前に福島第1原発を訪れたのですが,実際建屋を見てみると,妙心寺の仏殿くらいの小さなものでした.こんなものが爆発するだけであの大災害が起こるのかと.実際現地を訪れることで得るものは多かったですね・・・・・.あの事故が起きてから仏教界も脱原発の声明を出していますが,それには違和感も覚えています.非常に厳しい言い方をすれば,あのような重大な事故後に脱原発を唱えるのは誰でもできると思うのです.しかも,もはや産業として確立してしまった原発を社会として脱するのは相当難しい.宗教者としてあの事故から最も学ぶべきことは,宗教者はもっと科学者と対話し,サイエンスを学ぶべきだったということだと思っています.iPS細胞にしても,山中伸弥教授のノーベル賞受賞以来,批判的な報道が一切なくなりました.皆ぜひやってくれといった雰囲気ですが,誰も批判をしなくなったこの状況は大変危険です.例えば,iPS細胞で生殖細胞を再生すれば,確かに不妊症患者やLGBTの方にとっては朗報でしょう.しかしその反面,結婚という制度が意味をなくし,あまりに簡単に子供を産むことができるようになるでしょう.結果,虐待が増えるなど様々な問題が生じるかもしれない.家族というつながりも必要なくなるかもしれません.これは果たして我々が望む社会の形なのでしょうか.また,自動運転にしてもあれは究極のところ,技術ではなく倫理の問題でしょう.例えば,突発的に交差点で横からダンプが突っ込んできた.自分の命か歩行者の命かどちらかを犠牲にせねばならない時には車をどう動かすべきなのでしょうか・・・・・・.どうプログラミングするかは技術ではなく,人間の倫理観の問題です.科学者は,できることはやりたいものです.しかし,できることとやって良いことは違います.後者を担うのは道徳,宗教です.よって科学と宗教が対話をすることでテクノロジーと道徳がうまく融合し,穏やかな社会変化が達成されるのだと思います.これから宗教者を志す人たちはぜひ宗教以外のことにも目を向けていってほしいですね.

松山氏と佐々木氏.退蔵院にて.将来が楽しみなお二人です.

— 最後に,後輩へメッセージをお願いします.

松山氏 とにかく,「自分はこれだ」と決めつけないことです.闇の中で,遠くの方に見える光にたどり着こうと考える程度で十分です.そうしないと自分の可能性を制限しまうことになりかねません.コロコロと変化しやすい世の中ですから,フットワークを軽くしておく必要がありますね.まさに行雲流水といった具合に(笑).

— そうですね(笑).今日はお忙しい中,貴重なお話をありがとうございました.今後のご活躍をお祈りしています.

 

インタビューをしてくれた佐々木さんの家もお寺です.時代は異なりますが,お寺に生まれカトリックの学校に通った二人が,洛星を通じて語り合うことができました.まだまだ,佐々木さんは聞きたいことがあったようです.

以前,松山さんの世界高速鉄道フォーラムでのお話を伺いました.”技術”に対する心構えを教えられました.若いですが,奥の深い人です.益々のご活躍を祈念しております.

 

松山 大耕 氏 略歴

40期生
http://www.taizoin.com/about/
臨済宗大本山 妙心寺退蔵院 副住職
観光庁Visit Japan大使,京都市・京都観光おもてなし大使,京都造形芸術大学客員教授
著書:『大事なことから忘れなさい~迷える心に効く三十の禅の教え~』(世界文化社,2014年),『京都、禅の庭めぐり』(PHP,2016年),『ビジネスZEN入門』(講談社新書,2016年)
2001 東京大学農学部 卒業
2003 東京大学大学院農学生命科学研究科 修士課程 修了
  埼玉県新座市・平林寺にて3年半修行生活を送る.
2007 退蔵院副住職
2009 観光庁 Visit Japan大使に任命.
2011 京都市 京都観光おもてなし大使
  日本の禅宗を代表してヴァチカンで前ローマ教皇に謁見
2014 ダライ・ラマ14世と会談,世界経済フォーラム年次総会(ダボス会議)に出席
2016 『日経ビジネス』誌の「次代を創る100人」に選出
2016 「日米リーダーシッププログラム」フェローに就任
2017 京都造形芸術大学客員教授
  現在に至る