同窓生・恩師情報

同窓生インタビュー 多士済々な洛星出身者をご紹介します

拡大標準

20期生 大河 正明(おおかわ まさあき)氏

公益財団法人日本バスケットボール協会専務理事/事務総長 大河 正明 氏20期生) に伺いました.大河正明_02_2(サイズ大)

― 本日は,お忙しいところお時間を頂き,誠にありがとうございました.この度は,大変な時期にバスケットボール協会の事務総長に就任されました.当初は銀行に勤務されていたのですが,スポーツ界に転身されたきっかけ,決意された理由は,どういったものでしょうか?

大河氏    大学を卒業して,30年あまり銀行に勤めました.卒業後,入社したのは三菱銀行でしたが,辞めるときは,会社の名前は三菱東京UFJ銀行に変わっていました.銀行在籍中,1995年から97年の約2年間,Jリーグに出向しました.ちょうど川淵さんがチェアマンの頃で,総務部長として働きました.出向後は,銀行に戻りました.

銀行に戻ってから,Jリーグからのオファーはたびたびありました.川淵さんからも誘いがありました.そうこうしているうちに,50歳を迎えました.一般に銀行は50歳を過ぎると転籍・出向ということになります.多くは,関連会社に転籍や出向する.安定した人生です.でも,たった一度の人生だから,少し面白いこと,自分の興味のあることをしたいと思っていました.ずっと,Jリーグからは声をかけもらっていたし,それはありがたいことだと感じ,Jリーグにお世話になることにしました.銀行の仲間からは,「変わっている」と思われていたと思います.

 

― 大きな決断ですね.

大河氏    自分としては,やりがいがあると思っていまし,一度の人生だからと,いう感じでしたので自然でした.出向当時,スポーツは多くの人に感動を与える,ということを身近に肌で感じました.若い世代だけに限らず,老若男女が心底から楽しんでくれることは,非常にうれしかった.銀行でも,相続のお手伝いや融資案件をまとめると喜んでもらえますが,スポーツで喜んでもらえるのとは,規模が違います.実感が違います.そういった意味では,とてもやりがいがあると思いましたし,実際そうでした.スポーツ界には,感動を与える力があると思いました.

ただし,日本のスポーツ界は地位が低いとも感じていました.体育の延長としか捉えられていないとも思っていました.

 

― スポーツの地位が低いとは?

大河氏    スポーツに関する国の予算は,国体開催時の箱物行政が中心といった感じでした.本当は,スポーツを通じてコミュニティーができ,それに関わるいろいろな人が集まる.それは,世代を超えて人が集まる.欧米にはそれがあります.体育からスポーツに変えたい.そういうちょっとした哲学のようなものがありました.

 

― 銀行での安定した立場からの転身を家族はどう思われましたか?

大河氏    銀行が暗いという訳ではありませんが,Jリーグやスポーツ界には明るい職場のイメージがあり,そこへの転職です.家族は応援してくれましたし,基本的に好きにやらせてもらいました.

 

― Jリーグからバスケットボールに移られたのですが,その動機は?

大河氏    本年(2015年)1月,バスケットボール界立て直しのため,川淵さんがタスクフォースチェアマンに就任された際,バスケットボール協会や新リーグの規約規定の策定,チームの財政基盤強化に力を貸して欲しいと言われました.私が好きだったバスケットボールの危機に,サッカー界の川淵さんがご苦労されている姿は,見ているのが忍び難いものでした.その後,事務総長を探しているので協力できないかという話に進展し,忘れもしませんが3月30日の夜の電話でお仕事をお引き受けすることになりました.長い年月を経て,プレーヤーとして関わったバスケットボールから組織運営側の人間としてバスケットボールに関わることとなった次第です.同じスポーツではありますが,サッカーとは異なり,自分の部屋に戻ってきた感じがしています.

 

― 大学を卒業後,銀行に勤められ,その後,Jリーグの理事・常務理事と転身されています.その時々での考えがあったのだと思います.卒業後,銀行を選ばれたのは.

大河氏    実は私は消去法人生でした.嫌なもの,やりたくないものを除いて,選択してきたのです.大学で法学部を選んだのもそうでした.自分が白衣を着て大学の実験室にいるのは想像がつかなかった.それより,人と話をするのが好きだった.人とつながりを持っているのが好きだった.それで法学部を選びました.

就職するとき,人間を売り込む商売がいいと考えました.メーカーなら商品を販売する.商品の良し悪しでお客さんは買うか買わないかを判断する,銀行は,当時,規制の厳しさでは最たる業種だった.どの銀行も,商品は同じ,サービスも同じ.規制で守られているから.ただ,違うのは,売る人の魅力で,買ってもらえるかどうか,変わってくる.人間力で売り込むということができる.そこに魅力を感じて,それで銀行を選びました.

 

― 最近の高校生は,理系,特に医系志望が多いようですが,どのように思われますか.

大河氏    銀行など実社会にいると,法学部と経済学部の違いはあまりないような気がします.大学では法律を学んでいたので,物事を理論的に考える思考は,法学部で養われるのではと思っています.

理科系の人気が高いというのは,日本にとって明るい材料では.日本の強みはモノづくりですから,優秀な人が科学技術を勉強するのはいいと思いますよ.あまり頭がよすぎる人が,官僚になってがちがちに国を動かすのも,ちょっとどうかと思うので・・・・・・.

洛星の場合は,実社会や経済界に優秀な人材を輩出というより,やはり医系に優秀な人は行きますね.我々の学年,20期生もそうでしたし,今,甥が高校3年にいますが,医学部希望が多いようですね.昨年,20期と21期のバスケ部OBで集まったほとんどがお医者さんでした.いいことだと思いますが,優秀な人材がそこだけに集まるのも,ちょっともったいないかな・・・・・・.

洛星の高3Cクラスの同級生で法学部に一緒に入学したのは,鈴木君と山本君でした.鈴木君は経済産業省の局長,山本君は京都大学法学研究科長として,それぞれ活躍されています.

 

― 洛星に進学された理由は.

大河氏    幼稚園の時,早熟だったのか,他の子より背が高く,幼稚園の先生から,公立の小学校に行くと力を持て余す,と言われていたそうです.その幼稚園の先生の勧めもあり,京都女子大学附属小学校を受験して進学しました.残念ながら,京都女子大学の附属ですから,中学には女子しか進学できず,一方でクラスの男子は,公立中学に行く雰囲気もない状況でした.男子の多くが,受験する状況でした.学校説明会の時,洛星の体育館が格好いいと思ったので受験しました.

 

― バスケットボール部に入部された理由は.

大河氏    中学入学の直前に当時の中学3年生のキャプテンから手紙を頂きました.それがきっかけで,入学して見学に行きました.同期の高田君や中田君も手紙をもらっていたようです.バスケットは未経験だし,確たる理由はありませんでした.手紙をもらって,見学に行ったのがきっかけということになると思います.同期の古川君だけがミニバスの経験者でしたが,それ以外は素人でした.

 

― 洛星中学として初の全国大会に出場,ベスト4となられましたが,当時のクラブの雰囲気はどうだったのでしょう.

大河氏    入学した時の3年生(18期生)が,常に洛南中学と京都のトップを競い合っている状況でした.18期生は,夏の大会で市内大会では準優勝,府下大会では優勝,近畿大会では準優勝という結果でした.16期生が新人戦で準優勝し,そこから京都の中学バスケットボール界でも名が通ってきたという感じでした.顧問の木村先生から中学1年時,「君たちは背が高い.練習すれば強くなれる.」と言われていました.京都の上位で争うというのは,当たり前の感じでした.

顧問の木村先生は,バスケットボールの素人でしたが,熱心で,合宿を企画,遠征にも連れて行ってもらいました.洛星の生徒に合ったゾーンディフェンス等,いろいろ工夫された指導を受けました.「中田君以外,君たちは体力がないのだから速攻は出さないように」とも言われました.

 

― 今年は,久しぶりに京都でインターハイがありました.上位の学校には,必ず留学生がいました.確かに留学生のプレーは,日本人離れしたもので「すごい」という印象を受けました.一方で,観戦に行っていた中学生の息子が,「ちょっと残念な感じがする.」と言っていました.国際化は必要なことで,特に,バスケットボール界としては諸外国のチームと渡り合えるかが大きな課題と思います.一方で,高校で留学生が活躍することは,日本の学生のチャンスをつぶしていることにもなります.どのように,お考えでしょうか?

大河氏    バスケットボール界がサッカー界のように飛躍するには,まず,プロリーグが整備される必要があります.そこで,外国人の選手らと切磋琢磨し,一人一人の日本の選手が成長しなければなりません.アメリカに渡る選手もたくさん出てきて欲しいと思っています.そうやって,選手が活躍し,名前を覚えてもらわないとリーグは盛り上がらないし,飛躍はないと思います.

ご存じのとおり,バスケットボールのセンタープレイヤーの世界標準は210 cmです.210 cmクラスのセンターを日本人で育成することは,そう簡単ではありません.一方で,世界で戦うには,これらのサイズの人になれる必要があります.

Jリーグが開幕したころ,各チームが有名な外国籍選手を呼び,当時,歯が立たなかった韓国代表の選手もJリーグで活躍しました.結果として,海外の選手との試合に慣れ,臆することがなくなりました.

確かに,今年のインターハイの上位校には留学生の大型センターが在籍していました.指摘されるように,日本人の出番や育成の場面は減ります.課題である日本人のセンターの育成にはマイナスかもしれません.一方で,大きな海外の選手に触れるきっかけ,臆することなく立ち向かえる経験を積めることは,プラスです.プラスとマイナスがあることは理解しています.ただ,国際交流は必要だと考えています.

まだ,はっきりとは言えませんが,来年からの新リーグでは,日本人選手と外国籍選手がマッチアップするような状況となるルールにしようかと考えています.

 

― 国際化は,自分たちの違いを学ぶことだと思います.バスケットボールは,海外と交流をするいいツールだと思います.IMG_3250

大河氏    学校の部活・体育の枠踏みでは,それは難しいと思います.無理があると思います.学校では,中学3年,高校3年では,「勝つ」ということが主目的となり,育成という観点が希薄です.ミニバスでも勝利にこだわる指導者がいますが,まずは,バスケットが好きになり,いろいろな人と交わることが必要です.勝つことも大切ですが,育成,交流も必要です.U18(18歳以下),U16(16歳以下)でチームを構成し,国際交流する機会を設ける.あるいは,中学生や高校生がアメリカに留学するための奨学金制度を設立する.これらの取り組みが,根底から日本のバスケットボールを強くすることになると思います.学校の枠組みを超えたところで,新リーグと連携して,交流・育成に貢献できるようにすれば,と考えています.中学・高校ではトーナメントで優勝を争うことも必要ですが,リーグ戦文化を形成し,たくさんの試合をして楽しめる環境を設けることも必要ではと思っています.これらは,新リーグと一緒に取り組めればと思っています.

日本代表として,なかなか210 cm以上のセンターを中心に,ということは難しいと思います.一方で,日本人は手先が器用です.練習や体力強化で,秀でたシューターは養成できると思っています.日本のサッカーは,世界からスピードがあると恐れられています.バスケットボールも日本の独自の工夫,日本代表としての独自のスタイルを作り上げれば,世界と戦えると考えています.木村観次先生が洛星の生徒でも戦えるように工夫されたのと同じように,工夫は必要ですが.

 

―  今後の目標は?

大河氏    2020年,東京オリンピックがとりあえずの目標です.ご存じのとおり,現在の高校生,大学生に2 m前後で非常に運動能力の高い選手がおります.彼らを育て,日本代表の独自のスタイルを模索しなければなりません.

 

―  2020年は開催国だから出場できるのでは?

大河氏    FIBAが認めないと出場枠が与えられないかもしれません.アジアでは日本より上位に,中国,韓国,フィリピン,イラン,カタール等がいます.これらの国々とまずは互角以上に戦えるよう,新リーグを通じて切磋琢磨しなければなりません.

日本はトップリーグの分裂がありました.2006年には世界選手権を日本で開催していますが,その後,ナショナルチームとしての強化がなされなかった.一般にどの競技でも,国内で大きな国際イベントがあると,強化の方向に向かうのですが,日本のバスケットボールは逆に弱体化していったような感じです.トップリーグの分裂,内部の人事抗争,若い世代に任せる風土のなさ,これらが大きな問題であったと考えています.若い世代に任せる風土がないのは,バスケットボール界に限ったものではありません.スポーツの世界には,やはり上下関係というものがあります.先輩は永遠に先輩で,後輩は後輩.確かに,上下関係は大事ですが,組織を活性化するには弊害となります.

新リーグは成功させなければなりません.そのためには,若い世代を惹きつける必要があります.まずは,新リーグの運営組織の役員選考,役員報酬の規程の明確化など,一般企業が当たり前にやっていることを実施し,かつ,外部有識者に評価を受ける必要があるでしょう.また,組織は,ガバナンスが十分働くものとしなければなりません.今まではボランティアベースで運営されてきた部分もあります.自分自身の時間をなげうってバスケットボール界のために尽力された方には,心より敬意を表します.一方で,そのような貢献に対しては,明確に対価を示すことも必要です.組織として活性化するために,必要なことだと考えています.また,それを進める場合,透明性とガバナンス強化は必要不可欠です.

リーグ運営組織だけが改革するのではなく,各クラブの経営者もプロ化しないといけないと思います.サッカーの競技登録者は96万人です.一方,バスケットボールは63万人です.結構,バスケットボール人口はいるのです.自身でのプレーをやめてもバスケットボールを見たい,という人は必ずいるはずです.それもわずかではないと思います.それらの人たちの要望に応えるリーグにしなければなりません.

 

 ―  最後に後輩にメッセージを.

大河氏    難しい質問ですね.バスケットボール部の後輩でいいのかな.

 ―  結構です.

大河氏    バスケットボールは,全員が得点できるし,全員が反則をする可能性がある競技です.その中で,チームとしてのプレーを組み立て,ゲームをモデル化していく.これは,組織としてどうすべきかを考えることになります.このことは,必ず社会に出れば役立つことになります.社会に出れば,組織で動きます.チームプレーであるバスケットボールの経験は必ず役に立ちます.あと,世の中には理不尽なことがあります.バスケットボールをやっていると,スピードの違い,体格の違い,あるいは役割の違い等,理不尽かなと感ずることを経験すると思います.それら違いがあることを経験することは,社会に出て役に立つと思います.洛星のバスケットボール部は,比較的先輩後輩の垣根の低いところでしたが,それでも上下関係はありました.上下関係の経験も社会に出たときに役に立ちます.上下関係というのは,先輩が後輩を思いやることが重要です.

ある新聞社の取材で,一番の思い出を聞かれたのですが,私にとっての一番の思い出は,全国ベスト4でなく,中学2年の夏の大会です.中学3年の稲田さん(19期)以外,3年生は退場し,コートに残っていたのは,稲田さんと2年生でした.負けていて,残り時間表示がゼロの時,私のフリースローになりました.相手の桃山中学の選手が,残り時間をオフィシャルに確認したのですが,1秒とのこと.それを聞いて,緊張しました.もし自分がこれを外せば,先輩たちはここで終わってしまう,と考えると,とてつもないプレッシャーを感じました.その時のプレッシャーは今でも強く心に残っています.社会人になってもあれほどのプレッシャーはそんなにありませんでした.社会に出てから,いろいろ経験しましたが,バスケットボールでの経験により,プレッシャーのかかる場面でも何とか乗り越えられたと思っています.

ぜひ,いい経験をしてください.

 

― 本日はお忙しいところ,誠にありがとうございました.

 

残り1秒で,逆転のシュートを決められたそうです.プレッシャーを感じられただけでなく,それを乗り越えられた,というのが社会に出てからの支えとなる出来事だったのだと思います.まだまだ,前途多難のバスケットボール新リーグようです.スポーツは感動を与えられる.これは,他の職業ではなかなか経験できない.だから取り組もう,ということがJリーグに移られた動機とのことでした.バスケットボール新リークでも多くの人に感動が与えられよう,益々のご活躍を祈念しております.

(2015, 8, 21, JFAハウス6階にて)

大河 正明 氏 略歴

20期生

1981.3. 京都大学法学部卒業
1981.4. 三菱銀行入行
1995.5. 公益社団法人日本プロサッカーリーグ・総務部長(1997.6まで)
2010.10. 三菱東京UFJ銀行退職.
2012.5. 公益社団法人日本プロサッカーリーグ理事
2014.1. 公益社団法人日本プロサッカーリーグ常務理事
2015.5. 公益財団法人日本バスケットボール協会専務理事/事務総長
  現在に至る
   
  洛星在学中,バスケットボール部に所属
  中学2年 京都市新人戦優勝
  中学3年 京都市春季大会優勝,京都市夏季大会優勝,京都府大会優勝,近畿大会優勝,全国大会ベスト4
  高校1年 京都府夏季大会準優勝
  高校2年 近畿大会準優勝

   

20150824_旬の人時の人_大河正明氏