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同窓生インタビュー 多士済々な洛星出身者をご紹介します

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18期生 日置 幸介(へき こうすけ)氏

北海道大学大学院理学研究院自然史科学研究部門 教授 日置 幸介 氏(18期生) に伺いました.
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― わざわざ母校までお越しいただきありがとうございます.久しぶりの母校はいかがですか?
日置氏 卒業して,2回か3回ぐらい,京都で用事があったとき,前を通りました.例えば1988年に立命館大学で地震学会があった時に前を通りました.でも校舎に入るのは卒業後初めてです.建物は変わったようですが,構造は一緒なのでしょうか?在学時は,真ん中の建物に向かって右が中学,左が高校でしたが.
― 建物は,3階建てから4階建になりました.左右で中学・高校が分かれているのは同じですが,当時と逆で中学が西側,高校が東側です.プールや食堂の位置も変わっています.名残があるところもありますが大きく変わっていますね.ご自身の紹介のホームページに中学,高校時代の定期を示されていますね.
日置氏 部屋を整理していたら出てきたので,放っておくとまたなくなると思い,スキャンしてUpしました.深い意味はありません.
在学中は,三つの経路で通学したのです.父は転勤が多く,入学する頃は九州(熊本)にいました.いずれ関西に戻ってくることがわかっていたので,寄宿舎のある関西の学校ということで,洛星を選びました.中学1年の時は,花園にある星友寮にいました(最寄り駅は花園駅ですが,正式な住所は太秦安井北御所町です).その後,中学2年から高校1年夏まで高槻から阪急電車と市電,その後高校3年までは枚方から京阪電車と市バスで通いました.Webにあるのは,その時の定期です.
― 花園に寮があったのですか?初耳です.
日置氏 修道院にも寮(ケルブ館)があったのですが,1969年当時は花園にもありました.結構な人数が寮に入っていましたよ.18期だけで11人はいました.思い出せるのが17期10名,14-16期が3名ずつ,13期は6名.全部で40人ぐらいかな.古い建物の寮だったので,もともとどこかが利用していたものを借りていたか,買ったのだと思います.
― 寮での生活は,どのようなものでしたか?
日置氏 中学に入った1969年頃は,学生運動が盛んでした.高校生が,毎日激しい,難しい議論を行っていました.高3生が中心でした.寮の闘争があり,退寮になった人も複数いました.他の学生を扇動したというのが理由でした.中学1年の我々もその議論に加わっていましたが,議論されている内容はさっぱりわかりませんでした.「中1はどう思う?」と意見を聞かれるのですが,何がなんだかわからない.いまだにあの時何を議論していたのかわからない.でも,その輪の中に加わっていることは,何か新鮮な感じがしました.やはり,中学1年生からみた高校3年生は,偉い存在で,その人たちが語っていることは,なんだか高尚な感じがしました.
当時,寮長はボアベール神父様(当時まだBrotherでした)で,宮崎先生が舎監でした.DSC06719b
― 宮崎先生なら厳しかったのでは?
日置氏 いや,それほどでも.自由に議論が行われていましたよ.
― ご自身の紹介のホームページの話に戻りますが,数学の先生の似顔絵がありますよね.
日置氏 誰だかわかりますか?
― 森住先生ですか?
日置氏 そうです.森住先生の横顔です高校3年の時,授業中描きました.なんで書いたのだろう?暇だったのかな・・・・・・.それが,定期と一緒に出てきたので,スキャナーで読み込みUpしました.森住先生の授業は,本当にわかりやすかった.
― 中学・高校時代の思い出は,どんなことでしょう.
日置氏 寮の思い出は鮮烈でした.あと,無線部に所属していました.化学の小川仁美先生が顧問でした.今でこそ電波を使って電離層を研究していますが,当時は専門知識が豊富な同級生(ちなみに京大理の前野悦輝君と能登一夫君)に比べると,それほど熱心ではありませんでした.無線部は中学だけが正式なクラブで,高校では正式なクラブではありませんでした.クラブ局(JA3YKB)もありましたが,学校での活動は情報交換が主で,各自がアマチュア無線の資格をとり,自宅に無線局を開局していました.
無線部の思い出は,国家試験を平日に受けに行ったことですね.アマチュア無線をやるには国家資格を取らなければいけません.試験は春と秋の二回,平日にあり,学校をさぼらないと受けられません.事前の根回しはせず試験当日の朝に欠席届を出して受けに行きました.顧問の先生には迷惑をかけたと思います.
屋上の十字架にアンテナを結び付けたことがあります.コンテストがあったのでクラブとして一時的に取り付けました.1974年のことです.コンテストは,いろいろな地域の多くの人と交信して競うものです.すぐ外したので怒られませんでした.
今仕事で電離層も研究対象ですが,当時電離層と友達だったことは役立っていると思っています.
― よく聞かれるかもしれませんが,苗字について,これもホームページに記されていますね.日置氏は大和朝廷の測地事業に係っていたということになり,日置さんは,最先端の測地方法を研究・応用されています.なぜ,測地に進まれたのですか.
日置氏 大学では地球物理を勉強しました.岩石の残留磁気から過去の大地の動きを間接的に求めていましたが,当時リアルタイムのプレート運動はゆっくりすぎて測れませんでした.1980年代半ばに大学院を出て電波研究所のVLBI(超長基線電波干渉法)チームに入りました.公募ではなく一本釣りでした.遠く離れた電波望遠鏡間の信号を干渉させて,プレート運動を直接測ろうという計画が始まったのです.電波研究所は,当時の郵政省に所属しており,様々な通信に関する研究を行うところでした.短波通信の関係で電離層のエキスパートはたくさんいいましたが,固い地面を研究する地球物理学者は私が最初でしたので,やりたいようにやれました.
― どうしてこの分野にすすまれたのでしょう.
日置氏 1973年に小松左京さんが,「日本沈没」を発表され,映画やドラマにもなりました.東京大学の理科I類に進学したのですが,その影響なのか地球物理は人気でした.私の場合は,小説も映画もみてなかったので後付です.でもプレート運動は興味がありました.洛星では,大陸漂移説という「変な」説があると中2の地理で初めて紹介され,後に物理の長浜先生から大陸移動説として,一風変わった仮説として理科で習いました.高校では,まだそのように教えていた時代です.後でわかったことですが,プレートテクトニクスの考え方は当時既に大成功を収めていました.学校教育が学問の急速な進歩に追いついていなかったのですね.
― 地球を測ることは,魅力のあることだと思います.実際の生活に密着したことですし,自分たちの周りの自然がどうなっているのか知ることは,大切なことだと思います.最近の自然災害を知る上でも大切だと思います.地学は魅力ある分野で生活に密着したものだと思いますが.
日置氏 高校地学の存在感が薄いのは昔から変わっていません.地球物理学を教える大学の先生も,受験生には地学より物理・化学をきちんと勉強して来てほしい,というのが本音かも.それでも自然災害の多い日本国民には,地学は重要な学問だと思います.物理は物理学会としてまとまって高校物理と連携することも可能でしょうが,地学は分野が散漫でまとまれない.天文,惑星,気象,海洋もあれば地質も古生物もあり,学会は細分化されています.それらが協力して中学・高校の地学の地位向上に努力するようになったのはごく最近です.

校舎屋上にて.左大文字をバックに.

校舎屋上にて.左大文字をバックに.

今の専門は,測地学という地球の形や重力を測る学問分野ですが,その手法で地震に伴う変動も見てきました.最近,測位衛星を使って電離層の電子数を測っていて,大きな地震の直前に上空の電子数が増えることに気づきました.2011年東北地方太平洋沖地震の直後の話です.破壊前の岩石からプラスの電荷が出てくるという有名な室内実験がありますが,地面の電荷や電流に対して空(電離層)が反応するのだろうと思っています.これは地震の予知可能性に関わる大きな問題なのです.米国の専門誌を舞台に反対派とバトルが続いていますが,第三ラウンドがこの夏に終わったところです.相手は次々と変わりますから疲れます.やはり,専門の話はスライドがないと説明しにくいですね.
(校内を散策しました.食堂に行って)
日置氏 食堂のメニューと値段を正確に覚えています.中学1年になって,毎日食堂にお世話になりました.食べるものを選ぶという行為が小学校の給食と違って新鮮だったので,よく覚えています.ランチは100円,カレー80円,ビフカツライスが120円で一番高いメニューでした.ランチは,ご飯の上にカレーがかかっていました.麺類は30円の「すうどん」から80円の冷麺まで色々ありました.60円のざるうどんがありましたが,ざるそばありませんでした.温かい「そば」には,なぜか黄色い中華めんが入ってました.
麺類の場合は,2種類を組み合わせて食べていました.ただ,窓口が違うので「カレーとざるうどん」の組み合わせは不可でした.昔は,中学と高校で食堂利用日が一日交代でした.今もそうですかね.当時,4限目の終わりと共に全員食堂へダッシュしました.もちろん先生方には「走るな」と言われていましたが・・・・・・.昔は,最初に食券の行列に並んでから,食べ物の行列に再度並ぶ必要がありました.
― 学生さんへのメッセージ

洛星図書館にて

洛星図書館にて

日置氏 高校生活を楽しんで下さい.我々は,大学に行ったらいろいろ楽しもうと思っており、実際そうしましたが,高校でしかできないことも多いと思います.中学・高校での生活を大切にしてほしいと思います.(ちょうど文化祭の模擬店のチケットの校内販売が校内で行われたのを見られて)でも,みんな活発で楽しそうですね.楽しんでいるので,安心しました.
― お忙しいところ,本日はありがとうございました.益々のご活躍を祈念しております.
北海道大学にある日置氏のWebには,洛星時代の思い出が掲載されています.ユニークなホームページです.それを発見したことが,今回のインタビューにつながりました.最先端の科学技術で地震の予知に取り組んでおられます.必ず実現されると思います.インタビュアーの力量不足で,そこをわかりやすく説明できていないのが残念です.すみません.


日置 幸介 氏 略歴
18期生
web:http://www.ep.sci.hokudai.ac.jp/~heki

1979.3. 東京大学理学部地球物理学科卒業
1981.3. 東京大学大学院理学研究科修正課程修了「日本における過去4万年の地磁気永年変動に関する古地磁気学的研究」
1984.3. 東京大学大学院理学研究科博士課程修了 理学博士「アンデス山脈の折れ曲がりに関する古地磁気学的研究」
1984.4. 郵政省電波研究所 鹿島支所 第三宇宙通信研究室
1990.5. 連合王国ダラム大学地質科学教室 ポスドク
1992.7. 通信総合研究所鹿島宇宙通信センター 復職
1994.12. 文部省国立天文台 地球回転研究系 助教授
2001.4. 文部科学省国立天文台 地球回転研究系 教授
2002.4. 同 水沢観測センター長 併任
2004.4. 北海道大学 大学院理学研究科地球惑星科学専攻 教授その後名称変更:大学院理学研究院自然史科学研究部門地球惑星ダイナミクス分野 教授 現在に至る

(2014/9/9 ヴィアトール学園洛星中学・高等学校にて)