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同窓生インタビュー 多士済々な洛星出身者をご紹介します

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17期生 西脇 隆俊 (にしわき たかとし) 氏 

西脇隆俊氏(17期)に伺いました。
(本インタビューは、西脇氏が総合政策局長であった2014年2月に行いました)

― 今のお仕事について、教えてください。

西脇氏 今は、国土交通省の総合政策局長をしています。国土交通省は4つの省庁を統合してできましたので、大変幅広いことをやっています。その中で、総合政策局は、基本的な政策の企画立案と、各局にまたがるような仕事の総合調整をしています。例えば、社会資本整備、交通政策、環境政策、情報政策、高齢化対策、PFI、PPPなど様々です。DSCN5030m

 総合政策局は政府全体の政策の窓口でもあるので、東日本大震災からの復旧、復興や成長戦略などの取りまとめも仕事です。当面の仕事で大変なものの一つは、社会資本の老朽化対策、メンテナンスです。

 一昨年、笹子トンネルの天井板が落ちたのを契機に、昨年はメンテナンス元年という宣言がなされました。橋、トンネルだけではなく、下水道の函渠など、老朽化し漏水しているところもかなりあります。下水道の函渠が古いために起きている道路の陥没も結構あります。この他にも、ダムや堤防、公営住宅、役所の建物など、様々な社会資本の老朽化対策のとりまとめをやっています。

 国土交通省は、いわゆる社会資本のうち、道路、河川、下水道、公園、住宅、鉄道、港湾、空港などかなりの部分を所管しています。そして、文部科学省所管の学校や厚生労働省所管の病院なども含め、政府全体の老朽化対策についての先導的な役割を果たしています。そういう意味で範囲は非常に広いです。

 計画をたてるだけでなく、各局で同じような事をする場合の調整もします。例えば、道路橋であれば、対応する点検基準や点検頻度などをふまえて計画をたてます。一方、基準や点検頻度などが不十分な場合には、先進的な施設に合わせるなどの対策をとります。また、施設のデータベースも整備します。そもそも紙のデータしかない施設もあります。建設年度がわからないとか、諸元も不明とか、さらには過去いつ点検したのか、その時の状況がどうたったのか、という履歴がほとんどとれていない施設もあります。それを今データベース化しようとしています。橋などは比較的情報がある方です。かつてアメリカで、ニューディール政策で作った橋が1980年代に崩落する事故があり、「荒廃するアメリカ」と言われました。その教訓から、日本でも、橋の情報はある程度整備されました。しかしトンネルに関しては、今まで笹子トンネルのような事故はありませんでした。今回の事故は天井板が落下したものでしたが、それ以外にもジェットファンなど大きな構造物がトンネルの内部には付いていますので、それがもし落下したら大事故につながることになります。本体の躯体の強度もさることながら、付いているものも管理が必要です。最近のトンネルの中には、標識などでも非常に大きなものが付いていますね。以上のように、現在使っている社会資本の安全を確保するため、きっちりと維持管理するという老朽化対策が重要な仕事となっています。

 この他に、地域公共交通の対策もやっています。例えば、地方の人口減少によって、バスや中小の鉄道などが赤字になり、場合によっては撤退しているところもあって、大変不便になっています。今後、地方都市において高齢者をはじめとする地域住民の足を確保するためには、コンパクトな拠点とそれを結ぶ公共交通ネットワークの整備が不可欠です。まちづくりと一体となって推進したいと考えています。

― これまでのお仕事の上でのエピソードなど、お話頂けるものはありますか?

西脇氏 中央省庁で政策、実務の基本的な単位は課です。課長は実務をやっていて、責任も大きいところです。私はこれまで、建設業課長やまちづくり推進課長をやりましたが、この課長時代に思い出がたくさんありますね。

 建設業課長の時期は、ちょうどバブル崩壊後の金融機関の不良債権処理の時期でした。不良債権の貸出先の一つが建設業だったので、合併や倒産、民事再生など、そういう話がたくさんありました。不良債権の貸出先として、当時は流通業、不動産業、建設業と言われていました。

 その前に、まちづくり推進課長をやっていた時は、当時の小泉内閣の内政の一番重要な課題である都市再生を担当しました。内閣をあげて対応していたのですが、法律の制定も含めてかなりの部分を担当しました。課長というのは、隅々まで細かいこともわかりますし、大きな方針もわかるというポジションだと思います。

 もうひとつ思い出があるのは、4年間山形県庁に出向していた時のことです。最初の2年は総合交通課長でした。その時は、山形新幹線の実現が大きな課題でしたし、赤字ローカル線の転換の一つとして、JR長井線の第三セクター化を担当しました。この山形鉄道フラワー長井線は、その後、映画「スウィングガールズ」の撮影に使われました。地方での経験は、中央省庁の課長とは違って、現場に直結した具体的なプロジェクトを推進する仕事で、もう戻ってから23年も経ちますが、今でも気楽に、第二の故郷としてしばしば山形には足を運びます。やはり現場に密着しているので、思い出深いですね。

― 洛星時代はどのように過ごされていましたか?

西脇氏 中一から野球部でした。入学式の日の午後にグラウンドに行き、野球部の練習を見て、誰かは覚えていないけれど、先輩に「入部したい」と言って、入部しました。

― 小学校から野球をやっておられたのですか?

西脇氏 小学校には野球部はありませんでしたので、部活は卓球部でした。部活として本格的に野球を始めたのは中学からです。でも当時は、小学生の遊びと言えばキャッチボールとか野球ばかりでしたから、草野球やソフトボールは普段からしょっちゅうやっていました。野球部への入部は、小学校の5年生頃から心に決めていました。私は、教育大学付属桃山小学校でしたので、中学はありましたが、高校はまだ卒業生がおらず、野球部らしい野球部もありませんでした。それも一つの理由で、洛星では野球部に入りました。同じ小学校の先輩も野球部におられたという事も理由の一つです。

 部活は、中一から、最終的には高校三年の夏の大会までやりましたので、私の中高生活の基本は野球部と言えますね。しかも中高一貫ですから、中学の夏の大会が終わった後も、高校の野球部に入る事は決まっていますので、夏以降、高校入学まで野球部から解放されるわけではなく、その間もトレーニングが続きました。そいう意味では、基本的には完全に野球漬けの生活でしたね。勉強はあんまりしていません。部活の練習時間は、夏でも午後7時まででしたので、その分は早朝の練習でカバーしていました。大体、始発近くで登校し、練習していました。宿題はやってきた仲間から写していました。家ではほとんど勉強しませんでしたが、一つだけ自慢できるのは、授業中に寝たことはなかったですね。その時間だけが勝負でした。基本的に野球部が生活の全てで、高3の夏の大会が終わってから、受験勉強をはじめました。あとは運が良かっただけですね。

― 部活から得られたものは大きかったですか?

西脇氏 中学、高校を通して野球部に在籍していた6年間に経験し、学んだことは、私の人生のバックボーンになっています。もう46年も前になりますが、西野監督、そしてチームメイトに出会えたことに感謝しています。

(資料提供 17期 岡本肇氏)

 洛星で出会った時、西野監督は、おそらく25歳ぐらいだったはずですが、随分とおじさんに見えました。西野監督に教えられたことは数多くありますが、よく聞いたセリフをひとつご紹介します。それは「真面目にコツコツと」です。この言葉は、野球の面では、スクイズを貴重な得点源としていることを表していますが、人生のあらゆる場面にも通用する大原則だと思います。

 我々が不甲斐ないのですが、西野監督は相変わらずお元気で、ゴルフコンペでは若い者を差し置いてドラコン、ベスグロの常連です。いつまでも、コンペに参加していただきたいと願っています。

 試合を通じて学んだことをひとつご紹介します。マウンドに立っていた時、何度か満塁でスリーボールを経験しましたが、一度も押し出しにはなりませんでした。結果は偶然ですが、その時の緊張感を思い出せば、少々のプレッシャーは苦にならなくなりました。

― 洛星全体としての魅力という点ではいかがでしょう?部活以外のご経験で今役だっている事などがあったら教えて下さい。

西脇氏 きわめて明快な事は、洛星は進学校と言われているかも知れませんが、決していわゆる進学塾のような、受験勉強一辺倒の学校ではないということです。そこが最大の特徴だと思います。洛星の他にも文武両道と言われる学校は結構あると思いますが、その多くは、学校全体としては文武両道でも、文と武をやっている生徒が別々なのではないでしょうか。

 受験勉強一辺倒ではなかったという点では、まずクラブ活動があげられると思います。運動部では、私のいた野球部の他に、サッカー部、ハンドボール部、テニス部など、文化部では、謡曲部、オーケストラ部など数多くのクラブがありました。さらにいろいろな同好会もありました。次に、文化祭や体育祭、クリスマスタブロー、合唱コンクールなど、イベントが数多くありましたが、皆、これらを結構まじめに楽しんでやっていましたね。そこは重要な点だと思います。

 建設省時代、人事課にいて採用面接を数多くやって来たのですが、その経験から、中学高校時代にどれだけ幅広い経験を積んで来たかという事が、人間性の魅力にとって、かなり決定的な要素になるのではないかと思っています。その事は少し話をすれば自然にわかります。大学生になってからの経験も重要とは思いますが、それとは少し違うと思います。それは、中学高校の6年間は、大学の4年間より長いというだけではなく、ベーシックな人間性を涵養するのに、はるかに重要な時期だと思うからです。その時期に、どれくらい、どのような事を経験して来たかという事が、非常に重要だと思います。そのような様々な経験をつめる環境のあるところが洛星の良いところではないかと思います。この事は、洛星の卒業生であれば、皆言わずともわかっていることではないでしょうか。

 その証拠に、母校の高校が好きな卒業生の割合が、洛星はすごく高いと思います。そこは自慢ですね。他校では、高校時代に関してはあまり良い思い出がない、と言っている人も結構いますよ。もちろん個人差はあると思いますが、洛星の卒業生には、母校が好きだと言っている人の割合が圧倒的に多いと思いますよ。何が理由なのか少し考えてみましたが、やはりそれは、当然ながら勉強ではないと思います。勉強したから洛星が好きだという人はあまりいないでしょう。むしろそれ以外の、トータルとしての学校生活の思い出などがあって、洛星が好きだと言っている人が多いのではないかと思います。

 もう一つ洛星に関して言える事は、やはり礼儀正しいことでしょうね。口うるさく言われる先生方が沢山おられたから、という理由もあるかもしれません。特に野球部は、他の部活よりも厳しかったと思います。明確な記憶はありませんが、確か、高校になって、一般の生徒は自由になった制帽についても、野球部は当然かぶるということになっていました。今はもう制帽はないそうですが。

 それから、学校が綺麗だと思います。これは施設が新しいという事ではなく、ゴミもなく清潔だという事です。落書きもありません。このような、何というかびしっと、またきちっとしているというところが、結果的に6年間での人格形成に影響しているのではないかとも思いますね。礼儀正しいとか、規則を守るという点もそういう所から出ているのではないかと思います。だから結構思い出も良いのではないでしょうか。

 そういう意味では、上記のような事も含めて、幅広い経験を積むということがやはり重要なのではないかと思います。私は野球生活だけでしたが。

― 先輩や後輩に何か伝えたい事はありますか。

西脇氏 高校を卒業して大学に行く、そして社会人になる。その間に新しい出会いがあり、いろいろな人に出会います。出会い方もいろいろです。会議で一回きりの人から上司、部下など濃密な関係まで様々です。ある人に会った時に、もし相手が洛星の卒業生だという事がわかったとすると、それだけで、その人を疑うことは絶対なく、信頼もでき、きっと変な奴ではないだろうと思えます。これはものすごく重要な事です。洛星の卒業生だというだけで、そこまでほぼ確信できます。その上で、例えばこちらから何かをお願いする場合にも、何となく頼みやすいという事もあるでしょう。こちらがそう思うのですから、きっと相手も同じように感じ、信頼してくれていると思えます。そういう関係が会う前から成り立っているのです。

― 言葉にするのは難しいですが、どこかでつながっている感じでしょうか?

西脇氏 先程も言いましたが、共通の学校、「洛星」というバックボーンがあるからだと思います。洛星の卒業生であれば、まず信頼できます。最初から疑ってかかるようなケースとは全く逆です。そういう卒業生が、先輩でも後輩でも、自分の知り合いや仕事のパートナーの中にいるとすれば、それは非常に大きなことです。そのような関係の中で何か依頼事などがあれば、その依頼先のつながりの中にまた当然洛星の卒業生がいる。そのようにして、自然につながりが広がっていくと思います。これは数的な広がりではなくて、良質な信頼のきずなですね。そういうところをぜひ後輩には活用してほしいと思います。

― きずなの質っていい言葉ですね。DSCN5035m

西脇氏 そのようなきずなを活用するためには、皆さんには先輩や後輩に会える機会があれば、是非積極的に、むしろ少々無理をしてでも利用する方が良いと思います。多くの同窓生と知り合うことが、その時点ではすぐには役に立たなくても、いつかはきっと役にたつことがあると思います。会った方が直接関係しなくても、誰か関係者を知っている人がいる、という事もあるでしょう。

 後輩に接する時の先輩方には、少々無理してでも、そのようにして会った後輩の面倒を見てあげてほしいと思います。その点は先輩後輩を問わず、お互い様かも知れません。そういう関係は霞が関にも沢山あります。もちろん民間企業でも同じでしょう。

― 中央省庁にも多くの洛星卒業生がいると聞いています。

西脇氏 今、中央省庁に入ってくる洛星出身者が減ってきています。他の学校の出身者が増えているのですが、それらの学校で閥ができるかどうかはわかりませんけれども。

 その点では、東京に出てくる卒業生全体が減っているのではないでしょうか。少なくとも中央省庁は減ってきています。卒業生が多くいる必要はありませんが、できればある程度は、いろいろな分野に興味を持って、中央省庁にも来てほしいと思います。もうひとつ、東京で働いているという立場から言うと、関西の大学に入学して関西の企業に就職しても、結局多くの人たちが関東で働いているという事です。であれば、大学から関東に来ても同じではないかと思います。ある程度幅を持って考えてほしいなという事です。そのためにも、なるべく積極的に先輩や同級生に会って、経験などいろいろ聞いた方が良いと思います。その最も簡単な方法は、東京の集いや夏の集いという同窓会に参加することなんですね(笑い)。同窓会は私たちのアイデンティティのよりどころと言っても良いと思います。だから出会いの機会をなるべく多く見つけるために、同窓会を大いに活用するのがいいのではないかと思います。

 それからもう一つ、我々17期生もそうでしたが、名簿や連絡先の整備が重要と思います。我々は同窓会の幹事期の直前に頑張って整備しましたが、考えてみれば、もう少し早くできたかとは思います。働き盛りの年代は転勤なども多いかもしれませんが、何らかの方法で連絡が取れるように、少なくとも学年ごとに整備できれば非常に良いと思います。当時の我々はそこまで考えておらず、幹事期になってはじめて、東京にいる人たちの連絡先の整備ができました。ただ口で言うのは簡単なのですが、誰か面倒見の良い人がいないとなかなか実現は大変です。特に若い時は住所も勤務先も結構変わりますので、フォローするのは大変なのですが、是非がんばって整備してほしいと思います。

― 休日はどのように過ごされていますか?

西脇氏 休日は、身体を動かすことを中心にして過ごしています。野球部でしたので、本来ならば野球をやりたいところですが、周りにチームもなく、野球をやる機会は今はありません。

 京都では、「500歳野球大会」に洛星野球部OBチームが参加しています。機会があれば、京都の野球部OBのインタビューで是非大会の内容を紹介してもらってください。

 4人でできるゴルフやテニスは適度にやっています。特にゴルフに関しては、東京でも「洛星野球部東京OBコンペ」を年2回開催しています。14期の池野さん、15期の佐山さん、17期の中川さんとは、そのコンペを含めて年に5回ぐらいラウンドしています。

 最近熱心なのは、5年ぐらい前から始めたランニングです。4年前からはレースにも参加しています。最初はハーフマラソンの大会でしたが、これまでにフルマラソンを5回完走しています。第1回の京都マラソンにも参加しました。アップダウンの激しいコースで大変でしたが、故郷の見慣れた街並みを走るのは、非常に気持ちが良かったです。

― 最後に、普段心がけておられる事が何かあれば、お願いします

西脇氏 座右の銘と言えるような立派な心構えは持っていませんが、改めて振り返ってみると、三つぐらい心掛けていることがあると思います。

 一つ目は、どんなにつらい仕事でも、できる限り明るく取り組むこと、二つ目は、過去の経験にとらわれず、柔軟に考えること、その上で、最後は自分の判断を信じること、ですね。いずれにしても、ストレスを持っていると、迅速かつ適確な判断ができなくなると思います。

― 本日はお忙しい中、大変ありがとうございました。


西脇 隆俊 氏 略歴

17期生

国土交通省 大臣官房長 

1979. 東京大学法学部 卒業
1979. 建設省 入省
2001. 国土交通省 都市・地域整備局 まちづくり推進課長
2002. 大臣官房 広報課長
2003. 総合政策局 建設業課長
2005. 大臣官房 参事官(会計)
2006. 大臣官房 会計課長
2007. 大臣官房 審議官(国土計画局)
2008. 道路局 次長
2010. 大臣官房 総括審議官
2013. 総合政策局長
2014. 大臣官房長
2015. 国土交通審議官 
2016. 復興庁事務次官 
2017. 復興庁顧問
2018. 京都府知事 現在に至る


インタビュアー
WEB委員

(2014/2/28 霞が関にて)