同窓生・恩師情報

同窓生インタビュー 多士済々な洛星出身者をご紹介します

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19期生 三村 衛(みむら まもる)氏  

京都大学大学院工学研究科教授 三村 衛 氏(19期生)に伺いました.

― 本日は,お忙しい中,ありがとうございます.久しぶりに学校にこられた印象は,いかがでしょうか?
三村氏 本当にきれいになった,と思います.

― 掃除に対して厳しかったので,昔もきれいだったのでは.三村 衛 氏
三村氏 小学校もカトリックの学校(聖母)で,きれいでした.それに比べると,当時の洛星は,男子校のせいか,砂っぽい,埃っぽい感じがしました.旧講堂でちょっと転んだら,制服がすぐ破れたように記憶しています.当時のクラブ部室は汚かった記憶があります.

― 小・中・高とずっとカトリックだったのですね.
三村氏 たまたま,そうでした.中学・高校はもちろんですが,小学校から外国人の先生に接することができました.当時としては,珍しいことです.変な言い方かもしれませんが,12年間,カトリックの学校に通ったおかげで,外国の方に気後れしませんでした.

― サッカー部と伺いました.きっかけは?
三村氏 小学校からサッカーをやっており,小学校の1年先輩が洛星におられて,誘われました.そして,同級生の松井君,三宅君がノートルダム小学校出身で,小学校の時に対抗戦で知っていて,その二人にも誘われたので,サッカーに入りました.
先に言いましたが,部室は汚かったですね.でも,17期,18期にメンバーが揃っていて,思っていた以上に強かったし,まとまりがあった
強かったので,練習も厳しかったと思います.ピロティーの周りをインターバル走で50周,というメニューがありました.何とか完走したという感じで本当にきつかったです.あと,顧問の藤田先生がセンターサークルでルーズボールをだし,それを両エンドラインから走ってきてボールを奪い合う練習がありました.ボールを取れば,オフェンス,取られたらディフェンス.炎天下で,何本もやりました.当時は,「水を飲んだらあかん.」という文化でしたね.今では考えられないけど.中学の時,高校との合同練習が時々あった.やはり,高校生相手となると,体格・体力的にきつかった.ルーズボールを取りに行く時のあたりが違った.
でも,面白かったし,嫌と思ったことはありませんでした

― 在学中は,サッカー一筋だったようですね.
三村氏 いや,そうでもありません.苫名康先生が,合唱同好会を結成(正確には,グリークラブが昔あったので,再結成)され,それに参加していました.なんで参加したのか,さだかではありませんが,サッカー部もやりながら合唱同好会活動もまじめにやっていました.結構集まって練習をしましたし,なにかの発表会もあったような記憶があります.
あと,あまりこんなところで言うべきことでないかもしれませんが,高校3年の時,ミサを集団で脱走しました.12年もカトリックにいたので,ふとした感じだったのですが.どうも,先生方は,その予兆を察しておられたようで,厳戒態勢がひかれていました.トイレに隠れて仙元先生に見つかった人もいますが,何人かはうまく脱走しました.翌日,担任の田中(耕)先生から「君らよくあの厳戒態勢の中を逃げれたな.」と言われました.怒られると思っていたのですが・・・・・・.恐らく職員会議で田中先生は,担任として厳しいお立場だったと思います.申し訳ないことをしました.大人気なかったと思っていますが,ちょっと反抗したかったのかもしれません
当時は,服装には厳しかったですね.ちょうど,在学中に補導部から生徒部に名称が替った時期ですが,補導部の先生は厳しかった.ただ,厳しい部分と寛大な部分とがうまく混在した学校だったと思います.

― 現在は,大学で工学(地盤工学)の教育・研究に携われていますが,高松塚古墳の修復にも関係されていると伺いました.工学と考古学の組み合わせは,珍しいと思うのですが・・・・・.
三村氏 1999年に奈良の平城旧跡の地盤の沈下の問題で,ある先生が私のことを文化庁に紹介されました.遷都1300年に向けて,平城旧跡の整備が検討されていたのですが,建物や土を載せると変形(沈下)が生じるということは,当時,考古学の分野では十分に検討されておらず,専門家の協力が必要であるということで文化庁の委員会に加わりました.それが,文化庁と係るきっかけでした.考古学の世界から見れば,地盤工学は異分野だったでしょうね.
2002年に高松塚古墳の壁画にカビが発生していることが確認され,5月に文化庁から電話があり,壁画が描かれているのが地盤材料なのでアドバイスが欲しいということで,高松塚古墳に関係するようになりました.まずは,現地を見せてもらいました.

― 変な質問ですが,お墓に入るという事には抵抗はなかったでしょうか?
三村氏 古墳の横に被葬者を御祭りするものがあります.それに“失礼します”と手を合わせて入ります.防護服を着て入ったのですが,ヒヤッとした何とも言えない感じでした.石室は非常に狭く,幅が1.0メートル,高さが1.1メートルです.かがまないと入れません.「気を付けてくださいね.」と言われたのですが,はじめは「頭をぶつけるから気を付けて」と気遣ってもらっているのかと思っていましたが,「壁に触れないで」という意味であることがすぐに分かりました.かなり緊張しました.

― 普段研究されている土の構造物と違うので,苦労があったのではないでしょうか?
三村氏 カビが発生する一つの原因は,水です.締め固められた土や岩で囲まれているのに,なぜ水が入ってくるのか?何とかならないか?ということを言われました.これだけしっかりした石室,盛土なので水は来ないだろうと思われていたようです.
古墳も土でできた構造物なので,安定性や水の流れを検討することには違和感はありませんでした.ただ,普通の土の構造物の安定性や水の流れを調べる場合は,現地でボーリング孔を掘って実験をしたり,サンプルをとって実験室で調べます.強度を調べる場合は,サンプルに壊れるまで荷重をかけます.ただ,墳丘は特別史跡です.そのような調査はできません.そのような状況で,安定性や水の流れを説明するのは,大変です.発掘調査をされるときに,併せて調べるような工夫をしました.でも,工学の知識が考古学に役立つということで,やりがいのあることです.

― 文化庁の古墳壁画の保存活用に関する検討会に入られていますが,壁画はこれからどうなっていくのでしょうか.
三村氏 壁画は,今とりだして修復がなされています.修復が終了すれば,どうするのかは,検討会等で議論がなされると思います.私としては,本来の形に戻すべきだと思います.ただ,何の対策も施さずに戻せば,いずれまた同じような劣化問題が生じるでしょう.人工物(除湿機のようなもの)はつけられないので,元通り土や石で守る構造を考えなといけません.私は工学の人間なので,もう劣化が生じないという技術的な裏付けがあってから戻すべきだと思っています.そのために,研究・技術開発を行い,技術的な裏付けを確立したいと思っています.ただ,すぐに解決できる問題ではありません.

― 本職は,地盤工学,地盤防災ですね.
三村氏 若いころから,関西国際空港の沈下問題に取り組んできました.専門語で「圧密沈下問題」と言います.大きな土の塊を海底地盤の上に載せて空港を作りました.その下の地盤は,すぐに変形・沈下するのではなく,時間とともにじわじわ沈下していきます.土の塊を載せた海底地盤が,人間の体のように隅々までわかっているわけではないので,なかなか予測するのが難しい問題です.関西国際空港は,米国土木学会が20世紀の10大土木事業・構造物と認定した空港です.それの建設・維持管理事業に関われていることは,非常に名誉なことだと思っています.

― 研究者になられて,2度の大きな震災を経験されていますね.
三村氏 阪神・淡路大震災までは,主として関東大震災が基準となっていろいろな検討がなされていました.阪神・淡路以降は,それが基準となっていろいろ検討がなされました.東日本大震災は,阪神・淡路と違う揺れを体験しました.それと,ご存じの通りの大津波でした.あまり適切な言い方ではないと思いますが,経験が必要だなと痛感しました.東日本大震災では,阪神・淡路以降のさまざまな対応で、構造物の地震による被害は軽微であったと思っています.ただ,東日本大震災のような長周期の揺れでは地盤の液状化は起こらないと考えられていましたが,浦安で液状化が発生しました.考えを変えないといけないと思っています.

― 地震を防ぐ,地震による被害をゼロにする,というのは難しいのでは・・・・・・.
三村氏 確かに,「いつ」「どこで」「どれだけ」というのがわからないので,さらにそれを防ぐということは難しいです.地震とどう付き合うのか,ということが大事だと思います.今の日本なら,普通の建物であれば震度5では壊れないと思います.ただ,建物が大丈夫でも火災が発生したり,建物の中のものの固定が悪く,それにぶつかって怪我をしたり,亡くなったりすることがあります.広い大地にいて震度7の揺れが起こっても,転ぶことはあっても死ぬことはないでしょう.でも,建物の中にいれば,建物が壊れたり,建物が大丈夫でも中の家具などが飛んで来たり,そのようなことで怪我をしたり亡くなったりします.家屋の耐震化,家具の固定などを含め,普段からどのように地震と付き合うかを一人ひとりが考える必要があると思います.

― ありきたりですが,後輩へのメッセージを.
三村氏 工学は,数学,物理,化学を駆使して,実際の問題に取り組む分野です.実際問題を扱うので,その成果が目に見えてわかるので,魅力ある分野です.実際問題を扱うので,学問・教科がただ単にできる,というだけではなかなか難しいです.幅広い知識,多様な価値観とそれを使う“センス”のようなものが必要です.洛星は,クラブ,宗教行事など,多様な価値観を磨くのに多くのチャンスがあると思います.京大の教員で洛星出身者が多いのは,そのせいかな,と思っています.是非,洛星でセンス良く鍛えられた学生さんが,我々の分野にたくさん来てください.

― 古墳修復という歴史的な事業に「技術的な裏付けを確立したい」というお話は,根底にはいい加減なことはできない,責任がある,という強い決意の表れだと思います.益々のご活躍を祈念しております.


 

三村 衛(みむら まもる)氏 略歴
19期生
1981.3 京都大学工学部土木工学科卒業
1983.3 京都大学大学院工学研究科土木工学専攻修士課程修了
1983.4 京都大学助手 防災研究所
1992.5 土質工学会論文奨励賞
1993.10 デルフト地盤工学研究所(オランダ) 客員研究員
1993.10 京都大学助教授 防災研究所
1999.12 Merit Paper Award
11111111(5th International Symposium on Field Measurement in Geomechanics)
2007.5 地盤工学会研究業績賞
2007.6 C. A. Hogentogler Award (American Society for Testing and Materials)
2009.5 地盤工学会論文賞
2010.5 土木学会論文賞
2013.4 京都大学教授 大学院工学研究科都市社会工学専攻ジオマネジメント工学講座
1111111現在に至る
著書:「防災ハンドブック」,朝倉出版,2001年(共著)

 

インタビュアー
WEB委員

(2014年4月 ヴィアトール学園洛星中学・高等学校にて取材)