同窓生・恩師情報

同窓生インタビュー 多士済々な洛星出身者をご紹介します

拡大標準

16期生 清水 六兵衞(きよみず ろくべい)氏

809A2059陶芸家 八代 清水 六兵衞(きよみず ろくべい) 氏(16期生) に伺いました.

― 本日は,お忙しいところお時間を頂き,誠にありがとうございました.伺うのも変なのですが,陶芸の道に進まれた理由は.

清水氏    ご存知の通り,我が家は代々,焼き物を作ってきた家です.私が大学生の頃は,祖父も元気でしたので,あまり後を継ぐというようなことは,当時,考えていませんでしたね.

大学では建築の勉強をしていました.高校のころから建築家にあこがれていたところはありましたね.物造りは基本的に好きだったのかもしれません.大学卒業後は,建築関係への就職も考えていたのですが,当時は就職難だったこともあり思うところに就職もできず,とりあえず,京都に戻って、焼き物でもやってみようかなということになりました.共同でものを作っていく世界より,一人ででもできる陶芸が性に合っているような気もしました.

京都に戻ってきて,京都府立陶工職業訓練校で轆轤の訓練を1年間受けました.焼き物の家に生まれながら,恥ずかしながら土を本格的に触ったのはこの時が初めてでした.でも,土の感触は新鮮で「面白いな」と思いましたね

 

― なぜ,中高時代建築にあこがれ,大学で建築学科に進まれたのでしょう?

清水氏   父は若いころ,建築に関わっていました.名古屋で建築の勉強をして職に就いていたのですが,戦争で招集され,復員後,東京芸大の彫金科で学びなおし,その後,陶芸の道に入って行きました.もとは建築をやっていたので,家庭での話題は,結構建築の話題が多かったですね.そんなことも建築をやってみたい,という気にさせられた原因かもしれません.私は中学時代,絵を描くより図面を書いたりすることのほうが好きだったような気がします.

 

― 先程,土を触ったのが面白い,と言われましたが.

清水氏    土は,一見,思うように形ができそうですが,本当はなかなかそうはいきません.本当に微妙なものです.轆轤を回しながら,土の触感を確かめる.力の入れ方一つで形が変わる.轆轤を回していると,だんだん形が見えてくる.それが,面白かったですね.建築は,図面をひいても実際の形は想像するしかない.いまどきは,CGなどで図面から形が見えてくるようになりましたが,以前は模型を作らない限りそうではなかった.でも,土は触りながら,感じながら,そして目の前でダイレクトに形が見えてくる

ところが,土は扱いにくい素材ともいえます.土は水分を含んでいるので,乾いていくにつれ表情・形が変わっていきます.当初思っていた形と違ってくる.さらに焼くとガラッと変わる.土のそのものの形や質感が焼くことで変わっていく.その変化が面白いと言えば面白いところです.自分が考えていた通りの形が100パーセント作れるわけではないが,自然の作用で変化していく点が陶芸の一番の特徴だといえます.

 

― 地域によって土の質は異なると思うのですが.

清水氏   京都では,基本的に信楽粘土を使うことが多いのですが,全国には様々な土があります.その土に合わせて焼き方も変わります.例えば,備前の土は,京都のように短時間で焼き上げるとブク(有機物がガス化して表面が膨れる)が表れる.そうならないように時間をかけて焼くなど,焼き方を工夫しています.有田では真っ白な磁器が多い.九谷も磁器ですが少しグレー味がかった色合です.地域によって,焼き方も異なれば,焼く温度も異なります.愛媛県の砥部には,手捻りがしやすい磁土があったり、有田も九谷も備前も,それぞれの土でそれぞれの焼き方で作られてきました.その結果,それぞれの土と焼き方にあった色彩,色使いが生まれ,独自の焼き物となって,地域性が出てきます.

沖縄県立芸大で非常勤講師をしている関係で沖縄へも行きますが,沖縄も面白いですね.沖縄本島の北部と南部でとれる土が違います.南部には,クチャと呼ばれる石灰分の多い土があり,耐火度がないので低い温度でしか焼けません.でも,北部の土では高温で焼けます.

 

― 沖縄の焼き物は赤っぽい印象があるのですが?

清水氏    赤っぽいのは鉄分が多い土だからでしょう.白っぽい焼き物もあります.また,マンガンを主成分にした鹿の糞のようなマンガンノジュールといわれるものが地表に点在しており,それをもとにこげ茶色の絵の具として使われてきたのではないかと思いますよ.

 

― 清水焼はどうなのでしょう.

清水氏   京都では,今は都市化して土が取れないので,様々な地域から土を仕入れています.原料屋さんに頼めば,簡単に土は購入できます.京都では,土に頼るより加工して雅なものを作り出す,ということに重点が置かれてきたように思います.土着の土を使うというのでなく,様々な土を使えたことも種々雑多な焼き物が焼かれてきた京都の特徴かもしれません.清水焼,京焼というと,これといった明確なスタイルがあるわけでなく,特徴をあげるのが難しいといえます.有田焼とか備前焼というとすぐにその焼き物の特徴が思い浮かぶと思いますが,京焼は特徴をあげにくいですね.

様々な土を使ってきたので,それに合わせた焼き方の工夫がされたでしょうし,その結果,焼き上がりも様々なので,それに合うような色絵付けなども工夫されたといえます.京都は加工する技術が発展してきたところです.江戸時代まで都であった京都は大きな消費地であったし,消費者のニーズに併せて物を作ってきたといえます.京都の焼き物は特徴がないとよく言われますが,ものを作るのに様々な技術や工夫が凝らされ,絵付けにしても,デザイン性にしても,多様に対応しているのが京都の特徴だと思います

清水氏が作製された噴水

清水氏が作製された噴水

 

― 「京都に土がない」というのは,新鮮な魚はないがそこは調理法でカバーする,というような京都の料理と同じ感じなのでしょうか.

清水氏    公家や茶人が焼き物の消費者であり,非常に文化に造詣が深かった.したがって,要求も高い.嗜好性の強いものを要求される.それに応えるべく,京都の焼き物の技術は伸びてきたといえます.京都の料理も同じでではないかな.海から遠いので新鮮な素材がない.でも,おいしく食べる,おいしく食べたいという要求は高い.結果,食文化が成長する.

有田から磁器が伝わったのが,幕末から明治の初めと言われています.こちらに入ってくる土は二番手の物.でも,それを受け入れ,よりいいものとするように製造技術が高まっていったのです.

高い技術,高い要求は,京都の宿命かな

 

― 話は替りますが,洛星時代の思い出やクラブ活動の話を聞かせてください.

清水氏    中学に入学して,軟式テニス部に入りました.なんで入ったのか,はっきりわかりません.小学生の時は,卓球が好きだったけど,基本的にスポーツはあまり得意ではなかったので・・・・・.友達が入部したのがきっかけだったかな・・・・・・・.

 

― 勝手な思い込みですが,文化系クラブかなと思っていました.

清水氏    当時,体育の宮崎先生が運動部に入ることを熱心に言っておられたので・・・・・・・.結構,体育会系のクラブに入った人が多かったように思いますよ.

 

― いろいろなイベントもあったと思いますが.

清水氏    文化祭での演劇は,学年対抗のコンクールになっていて,頑張った思い出があります.僕は,大道具,照明を担当したりしました.新講堂の舞台は広く,照明の装置も本格的で,色を付けたり,暗くしたり,明るくしたり,光をいろいろ演出できるところもが「すごいな」と思っていました.大道具で物を作るのも好きでしたけれど,照明で機械を触るのも面白かったですね.

文化祭準備期間中,遅くまで残って作業したのは懐かしい思い出です.立命館大学の食堂までカレーを食べに行ったのも思い出だな・・・・・・.

 

― どうして洛星を選ばれたのですか?

清水氏    当時は塾も今ほどなかったし,行ってもいなかった.親に言われるままに洛星に進んだというところでしょうか.親が「ここはいいらしい」とどこかで聞いてきたようです.それと小学校の先生が,進学に熱心だったこともあります.家から歩いて行ける京女の附属小学校に通っていました.学年は1クラスしかなく,1クラス45名.その内,男子が24名で,その中の5名が洛星に進学しました.洛星に入学するまで,本当にどんな学校か知らなかったですね.

 

― 他の先輩にお話を伺ったとき,同じようなことを言っておられました.でも,京女小学校は仏教ですよね.

清水氏    小学校は仏教で,中学からキリスト教.はじめは違和感がありましたね.でも,後から考えるとよかったと思います.全く違う宗教に触れられたのは新鮮でしたね.また,美術や芸術,特に西洋文化はキリスト教と深くつながっているし,洛星に行っていなかったらキリスト教と美術を関連付けて観たりできなかったと思うし,深い理解は得られなかったと思います.

30代の後半,京都府文化賞の奨励賞を頂いて,その副賞として海外研修に行くことができ,一月間イタリアを旅行しました.当然,美術や芸術に触れることは教会を回ることになります.キリスト教や外国人に対する違和感は,洛星で過ごしたおかげであまりなかったな.IMG_0548

 

― 後輩へのメッセージをお願いします.

清水氏    若い人には,いろいろなことに興味を持ってほしいと思います.最近は,便利になってネットで何でも分かるのかもしれませんが,自分で直接調べたり,直接見たりして欲しいですね.ネットは,とても便利な情報源だと思いますが,そのため直接ものに触れる機会が減っているのではと感じています.今,京都造形芸術大学で教えているのですが,学生さんたちはあまり美術館やギャラリーに行かなくなったように思います.美術だけでなく,いろいろな点で,本物を直接見ることが必要だと思います.そこに本質がある.そういうものを直接見て,いろいろなことを感じて欲しいですね.

 

― 本日はお忙しいところ,誠にありがとうございました.

 

京都の奥深い文化のいろいろなお話を聞かせていただきました.物静かに語られるのですが,「物造りの難しさ」「物に直接触れることの大切さ」,そして「感じる事の大切さ」が強く伝わってきました.益々のご活躍を祈念しております.

 

清水 六兵衞 氏 略歴 (洛星在学時は 柾博 氏)

16期生
http://rokubeygama.com/introduction/
陶芸家,京都造形芸術大学教授,(株)キヨロク(六兵衞窯)代表取締役
国際陶芸アカデミー 会員
1979 早稲田大学理工学部建築学科 卒業
1983 朝日陶芸展’83 グランプリ受賞
1986 第14回中日国際陶芸展 外務大臣賞,朝日陶芸展’86 グランプリ受賞
  第1回国際陶芸磁器展 美濃’86
1988 京都市芸術新人賞,八木一夫賞’88 現代陶芸展優秀賞
1989  秋山陽・清水柾博・福本繁樹 展,八木一夫賞'89 現代陶芸展 読売賞
  第 2 回国際陶磁器展 美濃'89,ユーロパリア'89 日本 「昭和の陶芸-伝統と革新」展
1990 陶芸の現在-京都から,土の造形(栃木県立美術館),韓日青年陶芸作家交流展
  現代の陶芸(和歌山県立近代美術館)
1992 陶芸の現在-京都から,第 3 回「次代を担う作家」展 大賞受賞
1993 京都府文化賞 奨励賞 受賞,現代の陶芸 1950-1990(愛知県立美術館)
  第 48 回ファエンツァ国際陶芸展(ファエンツァ・・イタリア)
1994 平安建都 1200 年記念 美術選抜展(京都市美術館)
  京都創作陶芸のながれ(京都文化博物館),クレイワーク(国立国際美術館)
1995 第 49 回ファエンツァ国際陶芸展(ファエンツァ・・イタリア)
1996 写楽再見(国際交流フォーラム・・東京)
  IAC'96 JAPAN 国際陶芸アカデミー会員展(佐賀県立美術館・・佐賀)
1997 Poyntzpass Pioneers Ceramics Award 受賞
  SIDNEY MYER FUND INTERNATIONAL CERAMICS AWARD(SHEPPARTON ART GALLEY・・オーストラリア)
1998 陶芸の現在的造形(リアス・アーク美術館・・気仙沼)
1999 タカシマヤ美術賞 受賞
  日本現代陶芸展-前衛の動向(ファン・ボンメル・ファン・ダン・フェンロ市立美術館・・オランダ)
2000 八代 清水六兵衞を襲名
2001 現代陶芸の精鋭(茨城県陶芸美術館・・笠間),京都の工芸[1945-2000]
2002 国際現代陶芸招待展(台北縣立鶯歌陶瓷博物館・・台湾)
  現代陶芸100年展(岐阜県現代陶芸美術館・・多治見)
2003 韓日陶芸作家交流展 2003(ギャラリー サガン ・・ソウル)
  現代韓日陶芸展-共生をめざして-(錦湖美術館・錦湖アートギャラリー・・ソウル)
2004 カイロスの時・空・間(瀬戸市新世紀工芸館 ・・・ 瀬戸)
  国際交流邀請展(中国美術館・・・北京),清水六兵衞歴代展(千葉市美術館)
2006 CERAMICS beyond borders(National Library・・シンガポール)
2007 第 22 回現代日本彫刻展 ‘07(宇部市野外彫刻美術館・・山口県宇部市)
2009 京都府文化賞 功労賞 受賞
  第 4 回パラミタ陶芸大賞展(パラミタミュージアム・・三重)
2010 IAC会員展(セーブル国立陶磁美術館・・パリ)
2012 梅原猛と 10 人のアーティスト
  アジア現代陶芸―新世代の交感展(台北市立鶯歌陶瓷博物館・・台湾)
2013 清水六兵衞家―京の華やぎ―(愛知県陶磁資料館),京都美術文化賞 受賞
2014 八代清水六兵衞×川村悦子展
2015 The Blending and Interaction of Civilizations – An Exhibition of East-West Dialogue in Ceramic Art(中国美術館・・北京)
  現在に至る